自分のバックボーン
家族と仕事をするようになって、経理を勉強するようになって、
あー、私が苦手で逃げていたのはこれだな〜…私の家族がこうして、数字や経営について何十年も積み重ねていた時、
私は何をしていたかな?
私の積み重ねたものは何だろう?
私の強みは何だろうか?
私のバックボーンは?
と考えてました。
私は旦那様と、障害者の支援員として働いていました。
言葉が上手く話せなかったり、知的な面で遅れがある方達、耳が聞こえない、目が見えない、
そんな方達の、表情や仕草から彼らの想いを汲み取るのです。
彼らが意地悪な発言をした場合は、その言葉の裏に隠された本当の気持ちを汲み取る為に、イライラしている原因を探る為に、保護者から家での様子を聞きとります。
彼らの性格や特性も、生い立ちや生活環境から考えていきます。
そうして、彼らの生きる上での本当の幸せは何か?と、目標を決めます。
その目標を達成する為に、短期の目標を設定して、計画書をたてるのです。
最終目標を達成する為の最初のステップを、まずは達成出来る小さなことからはじめていきます。
その計画書を保護者や本人に見せて、同意をもらって、支援員が援助しながら、目標を達成していくのです。
人の幸せなんて、本当はその人本人にしかわからないけど
自分らしく生きることを誰かがお手伝いしてくれてその方が活き活きできるなら、それは素敵なこと。
ただ、支援員が彼らの本当の幸せを履き違えてしまうと、大変なことになります。
足の麻痺があって、歩けない方の最終目標を
健常者のように歩けるようになるーって目標をたてたとしたら、
彼はきっと苦しい、それが本当の幸せなのかってことですよね。
もちろんリハビリは必要だし、少しでも歩けるようになれたらと思うかもしれない。
でも、それを目標設定にしてしまったら、今麻痺がある自分を受け入れてもらえない。
そのことばかりと向き合って必死にリハビリをするのが幸せなのかー。
それとも、徐々に筋力を鍛えて、麻痺があったとしても生活に支障がなくなるように、自分の好きなことは楽しめるような生活を目指すのかー。
足ばかりでなく、負担が大きくなる手を鍛えるとか。
足のリハビリだけでなく、車椅子のバスケにチャレンジして思い切り身体を動かして楽しむーとか。
人を支援する上で、大切なことは
その方が出来ないことや苦手なことにフォーカスするのではなくて、
出来ること、得意なことを伸ばすこと。
出来ないことや苦手なことは、完璧に出来る人間を目指すのではなく、
周りがサポートして環境を変えてあげること、
何か道具やアイテムを使って上手くこなす方法はないかとチャレンジしてみること。
そんな風に日々考えて
働いていました。
これって支援員の仕事だけではなくて、全てに共通することだな〜って。
それが自分の考え方、生き方に大きく影響しているなって思います。
支援員としての仕事が身につき過ぎて、エンパス全開で笑
新しい環境や人なんかは、色々と情報が入り過ぎて混乱します笑
支援員としての仕事もそうだったけど、人を変えようとするのは間違いで、自分が変わること。
自分が変わると相手も変わっていく。
毎日「あの人はどうして、ああなんだろう。あれが出来ない、これも出来ない」って不満ばかり言って、
「こうしなさい」っていくら指示しても、相手は変わらない。いくら相手に対してよかれと思って言っていようが、他人を支配しようとしているだけ。
ただの傲慢な人。
そして、自分がイライラするだけ。
変わらないといけないのは自分自身。
私の中にそういう面がきっと強くあったから、支援員としての仕事をして勉強させてもらったのかもしれないなぁ。
あ、私、支援員の時にいつも不思議な体験してました(o^^o)
会話が出来ない方、支援員を困らせてばかりの方、本当に色んな方がいるんですが、私は超不器用で要領が悪い!笑
だから、いつも支援員を困らせるような方達がね、
「しょうがないな〜」ってな感じに手伝ってくれるんです。笑
話が出来なくてもね、泣きそうになったら、ギュッて抱きしめてくれるんです。何故か伝わるし、汲み取ってくれる。
なぜか気づけばみんなが一緒に動いてくれる。そばにいてくれる。
いつも思ってました。
支援しているのやらされているのやら…あ…これでいいんだなぁって。
人の上に人はいない。みんな支え合って生きているんだって。
ここから、私はまた経理という仕事に携わって、また違う考え方や生き方を学んでいくんだなぁ。
でも、自分のバックボーンは変わらない。これが、一年一年バージョンアップされていくのかも。
あー、私が苦手で逃げていたのはこれだな〜…私の家族がこうして、数字や経営について何十年も積み重ねていた時、
私は何をしていたかな?
私の積み重ねたものは何だろう?
私の強みは何だろうか?
私のバックボーンは?
と考えてました。
私は旦那様と、障害者の支援員として働いていました。
言葉が上手く話せなかったり、知的な面で遅れがある方達、耳が聞こえない、目が見えない、
そんな方達の、表情や仕草から彼らの想いを汲み取るのです。
彼らが意地悪な発言をした場合は、その言葉の裏に隠された本当の気持ちを汲み取る為に、イライラしている原因を探る為に、保護者から家での様子を聞きとります。
彼らの性格や特性も、生い立ちや生活環境から考えていきます。
そうして、彼らの生きる上での本当の幸せは何か?と、目標を決めます。
その目標を達成する為に、短期の目標を設定して、計画書をたてるのです。
最終目標を達成する為の最初のステップを、まずは達成出来る小さなことからはじめていきます。
その計画書を保護者や本人に見せて、同意をもらって、支援員が援助しながら、目標を達成していくのです。
人の幸せなんて、本当はその人本人にしかわからないけど
自分らしく生きることを誰かがお手伝いしてくれてその方が活き活きできるなら、それは素敵なこと。
ただ、支援員が彼らの本当の幸せを履き違えてしまうと、大変なことになります。
足の麻痺があって、歩けない方の最終目標を
健常者のように歩けるようになるーって目標をたてたとしたら、
彼はきっと苦しい、それが本当の幸せなのかってことですよね。
もちろんリハビリは必要だし、少しでも歩けるようになれたらと思うかもしれない。
でも、それを目標設定にしてしまったら、今麻痺がある自分を受け入れてもらえない。
そのことばかりと向き合って必死にリハビリをするのが幸せなのかー。
それとも、徐々に筋力を鍛えて、麻痺があったとしても生活に支障がなくなるように、自分の好きなことは楽しめるような生活を目指すのかー。
足ばかりでなく、負担が大きくなる手を鍛えるとか。
足のリハビリだけでなく、車椅子のバスケにチャレンジして思い切り身体を動かして楽しむーとか。
人を支援する上で、大切なことは
その方が出来ないことや苦手なことにフォーカスするのではなくて、
出来ること、得意なことを伸ばすこと。
出来ないことや苦手なことは、完璧に出来る人間を目指すのではなく、
周りがサポートして環境を変えてあげること、
何か道具やアイテムを使って上手くこなす方法はないかとチャレンジしてみること。
そんな風に日々考えて
働いていました。
これって支援員の仕事だけではなくて、全てに共通することだな〜って。
それが自分の考え方、生き方に大きく影響しているなって思います。
支援員としての仕事が身につき過ぎて、エンパス全開で笑
新しい環境や人なんかは、色々と情報が入り過ぎて混乱します笑
支援員としての仕事もそうだったけど、人を変えようとするのは間違いで、自分が変わること。
自分が変わると相手も変わっていく。
毎日「あの人はどうして、ああなんだろう。あれが出来ない、これも出来ない」って不満ばかり言って、
「こうしなさい」っていくら指示しても、相手は変わらない。いくら相手に対してよかれと思って言っていようが、他人を支配しようとしているだけ。
ただの傲慢な人。
そして、自分がイライラするだけ。
変わらないといけないのは自分自身。
私の中にそういう面がきっと強くあったから、支援員としての仕事をして勉強させてもらったのかもしれないなぁ。
あ、私、支援員の時にいつも不思議な体験してました(o^^o)
会話が出来ない方、支援員を困らせてばかりの方、本当に色んな方がいるんですが、私は超不器用で要領が悪い!笑
だから、いつも支援員を困らせるような方達がね、
「しょうがないな〜」ってな感じに手伝ってくれるんです。笑
話が出来なくてもね、泣きそうになったら、ギュッて抱きしめてくれるんです。何故か伝わるし、汲み取ってくれる。
なぜか気づけばみんなが一緒に動いてくれる。そばにいてくれる。
いつも思ってました。
支援しているのやらされているのやら…あ…これでいいんだなぁって。
人の上に人はいない。みんな支え合って生きているんだって。

ここから、私はまた経理という仕事に携わって、また違う考え方や生き方を学んでいくんだなぁ。
でも、自分のバックボーンは変わらない。これが、一年一年バージョンアップされていくのかも。